無血開城篇

近代化 〜東京は戦火に包まれずに国際社会に参加した〜

江戸湾の黒船来航〜欧米からの衝撃〜

01

約170年前(1853年)、それまで日本人が見たこともないような巨大な黒い船が江戸湾に姿を表しました。人々が知る木造船とは異なり、蒸気を発し、煙を吐き出す黒船は、当時の日本人にとって、まるで未来の技術が突然目の前に現れたかのような衝撃を与えました。
黒船来航は、それまで海外との貿易を制限していた徳川政権に難問を突きつけました。いかにして国民を守りながら、争わず世界に立ち向かうことができるのか?江戸で始まった長きにわたる平和は、今、試練の時を迎えていたのです。江戸が東京へと変貌を遂げる物語は、ここから始まりました。

2つの港の試験都市〜外国人の受け入れ〜

02

黒船来航の後、江戸湾近辺の沿岸の町々は日本の外界への玄関口となりました。開港された下田や横浜といった町では、人々は港を戦場とすることなく、外国人の受け入れ、新しい規則、新しい貿易、そして新しい生活様式への対応を迅速に準備する必要がありました。
東京の近代化に続く、和洋折衷の都市づくりは、この2つの港で実験されたのです。西洋風の石造建築と江戸風雨の白い漆喰壁が融合し、新たな街並みが誕生しました。これらの港から、日本はより国際社会への道を切り開き始めたのです。

江戸が東京になった日〜若き最後の将軍の決断〜

03

二つの港で、外国人の受け入れが可能となり、小戸各国との交渉が進む中、日本は国内で新たな危機に直面しました。天皇を擁立した薩長連合との内乱が目前に迫っていました。
江戸を拠点とする幕府軍に対し、新政府軍は富士山を望む駿府(現在の静岡市)に集結しました。軍の進軍と政治交渉が同時に展開され、緊張は極限に達しました。
この転換期に、最後の将軍がまだ30代前半の若き指導者として立ち向かっていました。これが徳川慶喜です。江戸での市街戦が想定される危機的状況に直面し、最後の将軍は天皇への江戸の返還を決意しました。駿府にいる新政府に使節が派遣され、首都が戦場と化すのを防ぐための交渉が模索されたのです。
この約束により、天皇は江戸城に入り、「江戸」は「東京」となりました。その後、前将軍は駿府に戻り、富士山の麓の町で静かに余生を過ごしました。

石造と煉瓦造の近代都市東京〜世界が認める都市づくり〜

04

東京は内戦も外国との戦争もなく、安定を取り戻し始めました。しかし、次の課題はさらに大きなものでした。国際社会に認められる首都へと発展させるという課題です。お雇い外国人と呼ばれる欧米の技術者たちが日本人の技術者を育て、外国の技術を学んだ建築家や土木技術者が変革を牽引したのです。
二つの港の実験都市で試された技術が東京の建設に応用されました。石材や煉瓦といった資材が近代建築技術の中心となるにつれて、東京は地方を巻き込み経済規模が拡大していきました。こうして日本は、アジアの近代首都が国際社会において、開放的で機能的であり、国境を越えて認識される存在となり得ることを示しました。

After Story

From Sword to Tea — Peace in Sunpu

After the bloodless transition, the last shogun spent his later years in Sunpu.
Many samurai followed a similar path—setting aside their swords and turning to cultivation.
In the fertile lands around Mount Fuji, former warriors picked up hoes and baskets, growing tea instead of fighting wars.
This peaceful shift laid the foundation for Shizuoka’s tea culture, which remains world-famous today—a living legacy of a society that chose creation over conflict.